開業後しばらくして医療の提供はスムーズになってきたかなというところで、勤務医時代との思わぬギャップに悩ませる院長もいます。
「請求業務の細かい点はわからないから任せたい」
「スタッフが定時だから帰ってしまう…まだ患者さんがいるのに?」
「患者さんとスタッフの接遇トラブルで院長が責任を負う?」
クリニックの「全責任」を負うと頭ではわかっていても、次々に起こる細かなトラブルに右往左往してしまう場面もあるはずです。
この記事では、お金や人事労務にスポットを当てて、院長が陥りがちな失敗とリスクマネジメント策について紹介します。
従業員とのコミュニケーションを深めるちょっとしたノウハウも学べるので、ぜひ参考にしてください。
※本記事に記載の情報は取材を行った2022年5月16日現在です。
回答者:佐久間 賢一氏(株式会社 MMS 代表取締役/日本医業経営コンサルタント協会 理事)
KPMG税理士法人にて医療機関の税務・会計・コンサルティング業務を約20年手がけて、2009年に独立する。開業支援・増収対策・事業承継に幅広い知見を有し、開業医および開業を検討している医師からの信頼が厚い。YouTubeでは診療報酬の最新情報や医療機関の経営に役立つ情報発信を行っている。
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開業支援にとどまらずクリニックの伴走役として著名な佐久間氏に、すぐ実践できるアドバイスを多く聞いてきました。
スタッフが頻繁に代わると…患者は遠ざかる
あるクリニックモールで開業した内科の先生は、初診率の高さに悩んでいました。次々に初診患者が来るから順調だと思われがちですが、リピート患者が少ないのが実態でした。
ーー原因はなんだったのでしょう?
佐久間:内科の初診率は大体10%程度なんですが、そこは35%だったんですね。なんで患者さんはリピートしてくれないんだろうって悩んでいるからいろいろ聞いてみると、理由は一発で分かりました。
要するに院長が、患者さんも見ている前でスタッフを怒鳴りつけることが原因だったのです。普段からキツく、仕事のミスだけ指摘されると、どんどん心は離れていきます。スタッフは院長の怒りを買いたくないので、一定の言われたことしかやらなくなりますよね。
ーーそんな雰囲気の悪さはスタッフも辞めさせてしまい、患者さんも遠ざけてしまうということですよね。
佐久間:患者さんは敏感に感じますよね。しかも受付や事務の人がしょっちゅう変わるってすぐに気づくし、親近感も持ってもらえません。さらにこうした悪い評判はすぐ出回るんです。やはり男性の院長にはこうした変化に気づかない方が多いように思います。
スタッフとの距離は「仕事抜きの会話」で縮める
スタッフとの距離感がわからないと不安に思う院長は多いはずです。とくに異性のスタッフだとなおさらかもしれません。
ーー経営者と従業員で考え方が違うのは当たり前だというのはよく聞きますが…うまく行っている事例を教えてもらえませんか。
佐久間:私のお客様で、ある眼科の事例を紹介しますね。なかなか所帯が大きくて40名ぐらいスタッフがいるんです。ただ平均勤続年数がわずか2年だったんです。院長の理想が高くて、厳しいことは自覚しているけれど医療については妥協したくないからと、悩んでいました。いろんな研修をやったり、職員旅行を企画から任せたりしたけれどダメで行きついたのがランチミーティングだったんです。
ーー一緒にお昼ご飯で、関係がよくなるんですか?
佐久間:一度に院長と職員3人にするんですね。1対1、1対2だと職員がプレッシャーを感じてしまうし、多すぎると散漫になるので3人がちょうどいいようです。
ちょっといいお弁当を用意して、趣味の話を中心にします。例えば車が好きな職員がいたら「最近買い換えたんだって?」とか、旅行が趣味なら「どこどこに行ったときどうだったの?」など、スタッフたちの趣味の話を聞き役に徹する。他愛のないことでも、職員からすれば、好きな話を聴いてもらえば、距離感がわずかずつでも縮まるんですよね。
ーー分かる気がします。でもどこでそんな情報を?
佐久間:院長夫人ですよ。夫人が聞いた話をメモにして全部書き留めていたんです。小耳に挟んだことを「今日のランチは●●さんだから、話題は子犬の話をしてね」って院長に指示して、院長はそれをもとにいかにも自分が知ってるような顔をして話をする。後ほど説明しますが、夫人がいない場合でも院長の身内の方がひとりいると心強いですね。
面倒だと思われるかもしれませんけど、院長からスタッフの立場に近寄っていくのが大事かなと思います。
ーー当然、仕事の話は禁止ですよね。
佐久間:もちろんです!そもそも仕事の話をしたらお昼休みも労働時間になっちゃいますし、スタッフはまた警戒してしまいます。普段より豪華なランチを先生と食べながら、和気あいあいとした空気が大事なんですよ。
このランチ会、もとは院長夫人の発案でしたが、早くからランチに行く順番を決めておくと意外に嫌がられません。「飲みに行って帰りが遅くなる」に比べれば、女性には抵抗も少なくて評判がいいようです。
小規模なクリニックでも有効だと思います。従業員からすれば普通、院長は遠い存在ですからね。無理やり時間を作るよりも、仕組みとして導入するのがおすすめです。
組織作りをスタッフと進める工夫
ーーある程度、距離が縮まった前提ではありますが「一緒に組織を作ってほしいんだけれど任せられる人材がいない…」という孤独な院長の悩みも聞きます。
佐久間:もう一つ面白い方法で、私どもがおすすめした「クリニック手帳」作りを紹介します。クリニックの自作マニュアルを小冊子にまとめるイメージですね。
就業規則のようなものではなく、例えば「院長や患者さんから頼まれたら【はい】と返事をする」とか「扉は両手で静かに閉めましょう」とか独自のルールをまとめます。
ーーちょっと面倒くさく思ってしまいますが…どのような効果があるんでしょうか?
佐久間:不思議なもので、自分たちが決めたルールは自発的に守りたくなるんです。院長が1つ1つ伝えたら、口うるさい存在と思われて距離感が広がっていくのは想像がつきますよね。でも従業員たちが作った「うち独自のルール」というのがミソです。
だから手帳づくりに院長は加わりません。スタッフ同士で作らせて、ときには残業になるのでお菓子やケーキだけ差し入れして、あとは任せる。要所でチェックしたり、「こんなルールも入れたらどうかな」と伝えたりすることはあっても、3カ月~半年かけて作り上げていくんです。
こうして出来上がったものを朝礼で読み合わせたり、新しいスタッフが入ったら「必ず読んでください」と冊子で渡したりすれば、業務品質の平準化にもなります。クリニック全体の接遇レベルが上がるのも願ったりですよね。
ーーなるほど、スタッフの主体性を育むわけですね。
佐久間:さらに言えば、マネジメントの中核になるリーダー格の人材が育つきっかけにもなります。時間はかかるかもしれませんが、そうした中核人材は育て上げていかなければなりません。
プロを正しく活用しよう
スタッフとの関係性が良好なクリニックばかりではありません。またクリニック側には落ち度がなくても、トラブルメーカーと関わってしまう可能性はあります。
そのようなときに院長が必要なのは労務のプロを正しく活用することだと佐久間氏は指摘します。
社会保険労務士や弁護士にどんな仕事をしてもらっている?
ーー労務のプロと言えば社会保険労務士ですね。
佐久間:今は労働基準法をはじめ様々な法律が複雑化しているので、私は開業する先生にははじめから社労士に全て任せられるように顧問契約を勧めています。例えばスタッフの退職の手続きなども全部専門家に任せたほうがいいです。人事に不慣れな院長が取り組んでも、自身もストレスにさらされてしまいます。
また患者さんとのトラブルも、院長がご自身で抱え込んで悩まない方がいいと思います。弁護士に任せずに、普段の診療が疎かになるようなら本末転倒です。また余談かもしれませんが、弁護士の相談料も抑える工夫はあります。時間制で料金が掛かるケースでは、その場でただ話すのではなく、相談に行く前にレポートを作って弁護士に送っておくことです。
ーーもっと活用するという点でアドバイスはありますか。
佐久間:はい、大切な仕事を任せるということですね。たとえば給与計算を社労士に頼むなんてもったいないですね。今や給与計算ソフトもあるので、それは自院でやったほうが効率的。専門家にしかできない、入退職時の手続きや人事労務に関する書類の作成などを依頼すべきですね。
配偶者のほか、身内の頼れる存在はぜひいてほしい
ーー先ほど、機転の効く院長夫人の話を伺いましたが、やはり身内がいたほうがいいのでしょうか。
佐久間:従業員同士だと給与などが漏れてしまうなど、職員間の不公平感を醸し出してしまうので、やはり身内の方が仕切ってくれるのは心強いですね。もちろん独身の院長もいますし、共働きの場合もあります。それでも、いざというときのために親戚でもいいと思います。私の知っているところで義理のお姉さんなどの事例がありますが、不測の事態は避けられますよね。
ーー適任の方がいない場合は、事務長業務をアウトソーシングしたいという方もいますよね。
佐久間:ありますね。クリニックの規模ではわざわざ事務長を雇うほどではないというケースが多いですが、事務長さんの派遣会社で有名な会社もあります。こうした環境整備をして、院長が診療に専念出来る体制を作っていただきたいと思います
ケーススタディ…こんなトラブルどうする?
人事や労務をめぐるトラブルを防ぐ、または不測の事態にも冷静に対応することが大切です。よくあるトラブルや誤解のトラップに陥らないように、佐久間氏にさらに踏み込んで解説してもらいました。
Q.スタッフが「辞める」のは必ずしも悪いことばかりではない?
佐久間:「スタッフが辞める=すべて悪」ではありません。クリニックは院長の「城」と同じ。だから、院長の意向と合わない人は居てはいけないんです。辞めてもらった方がいい人と辞めさせてはいけない人を混同されているケースがあります。院長は診察室の中にいる時間が圧倒的に長いので、スタッフの動きはあまり見えていません。だからこそ、できれば身内の中心人物の目に頼りたいんですね。
Q.受付終了時間を過ぎて患者さんが駆け込んできた!対応するのが当たり前?
佐久間:診療時間終了間際に患者さんが来たら、院長の立場としては頼ってきた患者さんを診るのは「当然」と思うもの。ただスタッフにも生活があり、家族が帰りを待っているかもしれません。ここで「受け付けるのが当然だろう」と迫るのは基本的に、反発を招くだけです。対策は普段から話し合っておくことです。例えば受付時間が過ぎた患者さんの場合には院長がご自身で受付から会計までやるのも1つの方法。最低限の人数で、残業できる日を分担しておくのも解決策ですよね。そのうえで「無条件で患者さんを断るのは無しにしよう」などと話し合っておけば、そうそうは困りません。「何が正解」ではなくクリニックの合意を作っておけばいいわけです。その際に、患者さんも大事、あなたたちスタッフも大事という姿勢が伝われば大丈夫です。
Q.スタッフのモチベーションを上げるには昇給やボーナスが最適?
佐久間:おすすめは皆の前で褒めることです。記念品を贈呈して表彰するなんていいかもしれません。個人的な意見ですが、お給料が上がった瞬間は嬉しいものですが、2カ月、3カ月後には慣れて当たり前になってしまうんですよ。すると、こんなにがんばっているのに「その後は増えないのか」となりがちだと感じます。
スタッフ自身で目標を設定させてみるのはモチベーションアップに効果的です。「半年以内にコンタクトレンズの装着指導ができるようになりましょう」と具体的な課題を挙げて、達成できたら表彰プラス金一封もいいかもしれません。院長の側も、スタッフの仕事ぶりにより関心が深まるでしょう。
補足ですが、叱る、指摘するときは1対1で行い、本人のプライドが傷つかないように配慮すべきです。
一緒に成長、成功する気持ちをもっているか
クリニックを経営する中で、さまざまなリスクはつきものです。多くのスタッフが関われば人事や労務をめぐるトラブルも起こりがちです。
一般的に従業員は、院長を畏れ多いと思っているもの。適切な距離まで縮めて丁寧なコミュニケーションを心がけ、従業員の主体性を引き出すのも院長の大切な仕事です。ひとりではなく、配偶者や身内の目も借りるのがおすすめです。
院長自身もスタッフとともに成長し、地域医療に貢献していく姿勢が何よりも大切です。使命感をもったスタッフは長くクリニックの発展を支えてくれることでしょう。
特徴
対応業務
診療科目
特徴
対応業務
診療科目
この記事は、2022年7月時点の情報を元に作成しています。
執筆 執筆者 藤原友亮
医療ライター。病院長や医師のインタビュー記事を多く手がけるほか、クリニックのブログ執筆やSNS運用なども担当。また、法人営業経験が長く医療機器メーカーや電子カルテベンダーの他、医師会、病院団体などの取材にも精通している。
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