医療安全の研修で必ず出てくる「インシデント」と「アクシデント」。言葉としては知られていても、どこからがアクシデントなのかを明確に線引きできる人は多くありません。
この線引きが曖昧なままだと、報告制度は機能しません。「これは報告すべきなのか」とスタッフが迷った時点で、報告は上がらなくなるからです。
本記事では両者の違いを影響度レベルの分類から整理し、あわせて診療所に求められる医療安全管理体制の要件、そして報告が集まる仕組みのつくり方までをまとめます。
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インシデントとアクシデントの違い
一言でいえば「患者に実害が及んだかどうか」
| 用語 | 定義 |
|---|---|
| インシデント | 医療の過程でエラーが発生した、または発生しかけたが、患者に障害を及ぼさなかったもの。「ヒヤリ・ハット」とほぼ同義で使われる |
| アクシデント | 医療の過程で不適切な医療行為が患者に意図しない傷害を生じ、一定程度以上の影響を与えた事象。「医療事故」に相当する用語として用いられる |
境界は患者への影響の有無と程度にあります。薬剤を取り違えて渡しかけたが投与前に気づいた——これはインシデント。実際に投与してしまい、処置が必要になった——これはアクシデントです。
ヒヤリハットとの関係
「ヒヤリハット」は、日常診療で「ヒヤリ」としたり「ハッ」としたりした経験を指す言い方です。患者への実害はほとんどなかったが、有害事象へ発展する可能性を持っていた潜在的事例を意味し、実務上はインシデントとほぼ同じ範囲を指します。
用語としては、報告書の名称に「インシデント・アクシデントレポート」を使う施設と「ヒヤリハット報告書」を使う施設があります。名称よりも、何を報告対象とするかを院内で明文化しておくことのほうが重要です。
影響度レベル分類——境目は「3a」と「3b」
インシデントとアクシデントは、患者への影響度によってレベル0〜5に分類されます。国立大学病院医療安全管理協議会の分類が広く使われており、多くの医療機関がこれをベースにした基準を採用しています。
| レベル | 患者への影響 | 区分 |
|---|---|---|
| レベル0 | エラーが発生したが、患者には実施されなかった | インシデント |
| レベル1 | 患者に実施されたが、実害はなかった | インシデント |
| レベル2 | 処置や治療は不要(観察の強化、検査の実施などにとどまる) | インシデント |
| レベル3a | 簡単な処置や治療を要した(消毒、湿布、鎮痛剤の投与など) | インシデント |
| レベル3b | 濃厚な処置や治療を要した(人工呼吸器の装着、手術、入院日数の延長など) | アクシデント |
| レベル4 | 永続的な障害や後遺症が残った | アクシデント |
| レベル5 | 死亡(原疾患の自然経過によるものを除く) | アクシデント |
分かれ目はレベル3aと3bのあいだです。「簡単な処置」で済んだか、「濃厚な処置」を要したか。この一線がインシデントとアクシデントを分けます。
現場で判断に迷いやすいのもここです。運用上は、迷ったら上位のレベルとして報告するというルールを決めておくと、判断のコストが下がり、報告の取りこぼしも減ります。
「アクシデント」と「医療事故調査制度の医療事故」は別物
ここは混同されやすいので、切り分けておく必要があります。
日常用語としての「医療事故」はアクシデント全般を指しますが、2015年10月に始まった医療事故調査制度が対象とする「医療事故」は、これよりもかなり狭い定義です。
制度上の医療事故とは、次の2つを両方満たすものを指します。
- 当該病院等に勤務する医療従事者が提供した医療に起因する、または起因すると疑われる死亡または死産であること
- 当該管理者が、その死亡または死産を予期しなかったもの
つまり、レベル4の後遺症が残るアクシデントであっても、死亡・死産でなければこの制度の報告対象にはなりません。逆に該当する場合は、医療事故調査・支援センターへの報告と院内調査が義務となり、この制度は診療所も対象です。
院内の報告制度と、制度上の報告義務。この2つは目的も範囲も異なるものとして、それぞれ整理しておく必要があります。
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診療所に求められる医療安全管理体制
医療法施行規則第1条の11により、診療所の管理者にも医療安全のための体制確保が義務づけられています。求められる内容は次のとおりです。
- 安全管理のための指針の整備
- 医療安全管理委員会の設置(※有床診療所のみ。無床診療所は対象外)
- 安全管理のための基本的事項および具体的方策についての職員研修の実施(年2回程度が望ましいとされる)
- 事故報告等を活かし、安全確保を目的とした改善のための方策を講じること
無床診療所の場合、委員会設置は求められませんが、指針・研修・改善方策の3つは必須です。「うちは小さいから」は理由になりません。
とくに4つ目の「事故報告等を活かした改善」は、報告が集まらなければ成立しません。報告制度をどう設計するかが、そのまま体制の実効性を左右します。
報告が上がるクリニックと、上がらないクリニック
報告ゼロは「安全」ではない
報告件数がゼロの診療所は、安全なのではなく報告が上がっていないだけというケースがほとんどです。報告が止まる理由は、おおむね次の3つに集約されます。
- 責任追及につながると思われている——「報告したら怒られる」と学習してしまっている
- 報告する手間が重い——紙の様式、記入項目が多い、提出先が分かりにくい
- 報告しても何も変わらない——出しても放置されるなら、次から出さなくなる
対処は3点セットで考える
1. 責めない運用を明文化する
インシデント報告は個人の過失を記録するものではなく、プロセスの弱点を見つけるためのものである——この位置づけを指針に書き、朝礼や研修で繰り返し伝えます。書いてあるだけでは伝わりません。実際に報告が上がったときの院長の反応が、次の報告の有無を決めます。
2. 報告の摩擦を減らす
項目を絞った短い様式にする、記入場所を診療の動線上に置く、共有フォルダやフォームで受け付ける。「その場で30秒」で出せる形に近づけるほど、件数は増えます。
3. 分析と改善を必ず返す
月に一度でよいので、集まった報告を種類別に振り返り、手順のどこを変えたかをスタッフに戻します。「先月の与薬に関する報告を受けて、確認の手順をこう変えました」と共有されることが、報告を続ける動機になります。
記録の一元化が振り返りを軽くする
報告の分析でつまずくのは、たいてい集計の手前です。紙の報告書がファイルに綴じられているだけだと、「今月は何がどれだけ起きたか」を出すのに時間がかかり、振り返り自体が続きません。
日々の診療記録、処方・検査のオーダー、患者への説明内容が電子的に一元管理されていれば、インシデントが起きた前後の経過を追いやすくなり、報告書の記載も、原因の検討も短時間で済みます。安全管理は特別な取り組みというより、日常業務の記録の延長線上で回すほうが定着します。
よくある質問
Q. インシデントとヒヤリハットは同じ意味ですか?
実務上はほぼ同じ範囲を指します。厳密には「ヒヤリハット」は当事者の主観的な体験を含む言い方で、「インシデント」は影響度レベルによる客観的な区分として使われる場面が多くなります。院内では用語をどちらかに統一しておくと混乱がありません。
Q. レベル3aと3bの判断に迷ったらどうすればよいですか?
上位(3b)として報告する運用にしておくのが安全です。分類は事後に医療安全の担当者が調整すればよく、現場に厳密な判断を求めると報告が止まります。
Q. 無床診療所でも医療安全管理委員会は必要ですか?
医療法施行規則上、委員会の設置義務は有床診療所が対象です。無床診療所では、指針の整備・職員研修(年2回程度)・改善方策の実施が求められます。
Q. インシデント報告は患者に開示する必要がありますか?
院内の報告書そのものを開示する義務は定められていません。ただし患者に生じた事象については、事実の説明を誠実に行うことが前提です。制度上の医療事故(予期しない死亡・死産)に該当する場合は、遺族への説明とセンターへの報告が別途必要になります。
Q. 報告書はどのくらい保管すればよいですか?
法令で一律の年限が定められているわけではありませんが、院内の指針で保管期間を定めておくのが一般的です。診療録の保存年限(5年)を目安に設定する施設が多く見られます。
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まとめ
インシデントとアクシデントの違いは、患者に実害が及んだかどうか、より具体的には影響度レベル3aと3bのあいだにあります。3aまでがインシデント、3b以上がアクシデントです。
一方で、医療事故調査制度が対象とする「医療事故」は、予期しなかった死亡・死産に限定された別の概念です。院内の報告区分と制度上の報告義務は、混同せず分けて整理しておく必要があります。
診療所には、医療法施行規則に基づく指針の整備・職員研修・改善方策の実施が義務づけられています。ただし形式を整えるだけでは体制は機能しません。報告が上がる仕組みをつくり、集まった報告を手順の改善に返す——この循環が回って初めて、医療安全管理は実体を持ちます。
まずは自院の報告様式を見直し、「30秒で出せるか」を確認するところから始めてみてください。
参考
- 医療法施行規則 第1条の11
- 医療法 第6条の10(医療事故調査制度)
- 国立大学病院医療安全管理協議会「影響度分類」
この記事は、時点の情報を元に作成しています。