
近年の物価高騰や最低賃金の引き上げにより、クリニックの人件費負担は増加傾向にあります。特に、人材確保が難しい医療業界では、給与水準の適正化と経営の安定化のバランスを取ることが求められています。本コラムでは、クリニックが最低賃金改定にどのように対応すべきか、賃金対策の具体的な方法を解説します。
医療機関の賃金対策:物価高騰と最低賃金上昇への対応
最低賃金とは?
最低賃金の基本概要と改定の流れ
最低賃金とは、法律で定められた労働者に支払わなければならない最低限の賃金のことです。厚生労働省が毎年改定を行い、各都道府県ごとに設定されています。最低賃金は、地域別最低賃金(都道府県ごとに異なる)と、特定の産業に適用される特定最低賃金に分かれていますが、クリニックが該当するのは基本的には地域別最低賃金です。
最低賃金の改定は、毎年7月頃に厚生労働省の審議会で決定され、10月から新しい賃金が適用されます。そのため、クリニックの経営者は、毎年の改定時期に合わせて給与体系の見直しを行うことが重要です。
2024年10月の都道府県ごとの地域別最低賃金については、厚生労働省HPよりご確認ください。
最低賃金の対象となる賃金は?
最低賃金の対象となるのは、毎月支払われる基本的な賃金です。残業代や賞与(ボーナス)は含まれません。クリニックでよくある皆勤手当も含まれないのでご注意ください。最低賃金の対象とならない賃金は、以下の通り定められています。
(引用|厚生労働省 必ずチェック最低賃金 使用者も労働者も)
最低賃金がクリニック経営に与える影響
最低賃金の引き上げは、クリニックの給与負担に直接影響を与えるだけでなく、同一労働同一賃金とも密接に関係しています。厚生労働省の「同一労働同一賃金ガイドライン」では、正社員と非正規社員(パート・契約社員)に不合理な待遇差を設けることは認められないとされており、賃金改定の際にはこれらのバランスも考慮する必要があります。
同一労働同一賃金に関する詳細はこちらの厚生労働省HPよりご確認ください。
クリニック経営への具体的な影響
- 賃金の増加
- 最低賃金の引き上げに伴い、パート・アルバイトの賃金水準を引き上げる必要がある。
- さらに、同じ業務を行う正社員との待遇格差を是正するために、基本給や手当の見直しが求められる。
- 手当の見直し
- ガイドラインでは、職務手当や資格手当などに不合理な格差がないかを検討することが必要とされている。
- クリニックでは、例えば受付スタッフや看護助手の業務内容に応じた手当を明確化し、待遇差の合理性を説明できるようにすることが重要。
- 労務トラブルのリスク
- 最低賃金を下回る給与設定は最低賃金法違反となり、是正勧告を受けたり罰金を科される可能性がある。
- さらに、非正規社員が正社員との待遇差に不満を持ち、労務トラブルや訴訟に発展するケースもあるため、慎重な対応が求められる。
最低賃金の引き上げに伴い、パート・アルバイトの賃金調整や正社員との待遇格差の是正が求められます。同一労働同一賃金の観点から、職務手当や資格手当の見直しを行い、公正な賃金体系を整備することが重要です。
また、単なる賃金引き上げにとどまらず、正社員と非正規社員のバランスを考慮し、合理的な制度を構築することで、スタッフの納得感を高めながら安定した経営につなげていきましょう。
最低賃金引き上げがもたらす課題
人件費増加による経営圧迫
最低賃金の引き上げは、クリニックの経営において固定費の増加を意味します。人件費はクリニックの支出の中でも大きな割合を占めるため、最低賃金の上昇が経営を圧迫するリスクが高まります。
また、人件費増加に伴い、診療報酬の改定がそれに見合う形で行われなければ、クリニックの利益率が低下する可能性があります。経営を安定させるためには、賃上げだけでなく、収益を確保するための対策も必要です。
人材確保・離職率への影響
最低賃金の上昇により、他の業界との賃金格差が縮まるため、医療業界での人材確保がさらに難しくなる可能性があります。特に、コンビニや飲食業界などのサービス業が最低賃金を大幅に引き上げた場合、医療業界のパート・アルバイトスタッフが転職してしまうリスクもあります。
また、給与体系の変更が適切に行われなかった場合、スタッフの不満が高まり、離職率が上昇する恐れがあります。給与改定を行う際には、スタッフへの説明やコミュニケーションを適切に行い、納得感を持たせることが重要です。
クリニックの経営安定化のポイント
最低賃金の引き上げに対応するためには、単に人件費を増やすだけでなく、経営の効率化を図ることも必要です。しかし、医療機関は自由に診療報酬を設定できないため、収益増加の手段が限られるという課題があります。
利益を確保するためには、以下のような対策が考えられます。
- 診療の効率化:電子カルテや予約システムを導入し、業務負担を軽減する
- 収益向上策の導入:自費診療メニューの追加や健康診断の強化
- 補助金・助成金の活用:人件費補填となるように助成金を積極的に利用する
クリニックの利益を確保しながら、スタッフの満足度も向上させるには、賃上げだけでなく、業務効率化や補助制度の活用が不可欠です。
医療機関の賃金対策と最低賃金への対応策
最低賃金の引き上げに対応するためには、単に給与を増やすだけでなく、賃金体系の見直しや労働環境の改善を組み合わせることが重要です。クリニックでは診療報酬が決まっているため、適正な賃金管理を行いながら、経営の安定を図ることが求められます。このセクションでは、クリニックが最低賃金改定に適切に対応するためのポイントを解説します。
賃金制度の見直しとスタッフ定着の重要性
スタッフの満足度向上と定着率の向上
最低賃金の上昇に対応するためには、単に賃金を引き上げるだけでなく、職場環境の整備を進めることが重要です。
スタッフの働きやすさを向上させるためには、以下のような施策が有効です。
- 公平な賃金テーブルの策定:給与の決定基準を明確にし、不公平感を解消
- キャリアアップ制度の導入:昇給や昇格の仕組みを整え、長期的な雇用を促進
- ワークライフバランスの確保:シフト調整の柔軟化や業務負担の軽減
給与の引き上げだけでなく、スタッフが安心して働ける労務管理の体制を整えることが、安定した運営につながります。
賃金体系の見直しと生産性向上の関係性
最低賃金の引き上げに伴い、賃金体系を適切に見直し、無駄なコストを削減することが求められます。
特に、医療機関では診療報酬が決まっており、自由に価格を設定できないため、適正な賃金管理が必要です。そのため、以下のような対応を組み合わせることで、無理なく最低賃金の引き上げに対応できます。
- 賃金テーブルの最適化:基本給・手当のバランスを調整し、適正な賃金を設定
- 業務効率化の推進:電子カルテや自動精算機の導入により、労働時間を適正化
- シフト制度の見直し:無駄な残業を削減し、労働時間管理を適正化
こうした施策を通じて、単なる賃上げではなく、クリニック全体の生産性向上と適正な労働時間管理を実現することが可能です。
賃金引き上げに対応する具体的な方法
基本給の引き上げと段階的調整
最低賃金は毎月支払われる基本給や対象となる各種手当の合計額が基準を満たしているかどうかで判断されるため、対応を誤ると法律違反となる可能性があります。
そのため、基本給の見直しをどのように進めるかが重要なポイントとなります。
- 対応策の例:
- 短期間ごとの段階的な昇給を設定(半年ごとの4月・10月などに昇給を小刻みに調整)
- パート・アルバイトの時給を診療報酬改定に合わせて引き上げ
- 手当を活用し、直接的な基本給の引き上げを抑制
手当の活用は、基本給が賞与や退職金といった他の制度と連動する仕組みの場合に有効です。最低賃金は今後も継続して引き上げがされる見込みです。適正な賃金調整を行うことで、経営の安定とスタッフの満足度を両立させることが可能です。
賞与の活用とその限界
最低賃金は月例賃金(毎月支払われる給与)を基準に判断されるため、賞与(ボーナス)で最低賃金を補うことはできません。
そのため、基本給や各種手当を適正に設定し、最低賃金をクリアする必要があります。
ただし、賞与は以下のような目的で活用することが可能です。
- 業績に応じたインセンティブとして支給
- 固定費の増加を抑えつつ、スタッフのモチベーションを向上
- スタッフの貢献度に応じた公平な報酬制度として活用
最低賃金対策としては使用できませんが、クリニックの利益状況に応じて賞与を活用することで、スタッフの定着率向上につなげることが可能です。
手当の新設・補填による方法
最低賃金の引き上げに対応するためには、基本給の見直しだけでなく、最低賃金の計算に含まれる手当を適切に設計することが重要です。
最低賃金の基準を満たすためには、最低賃金の対象となる手当を見直し、適正な額を設定することが求められます。ただし、賞与や皆勤手当、通勤手当、時間外手当などは最低賃金の計算対象外であるため、これらの増額だけでは基準を満たせません。
- 導入可能な手当の例(最低賃金の計算に含まれるもの)
- 職務手当:受付業務の責任者やレセプト業務担当者など、特定の業務・役割に対して支給
- 資格手当:看護師・医療事務資格など、業務に関連する資格を持つスタッフへの手当
- 技能手当:電子カルテの操作スキルや特定の施術補助ができるスタッフに対する手当
- 注意点
- 最低賃金の計算に含まれない手当(例:皆勤手当、通勤手当、時間外手当、家族手当など)を増額しても、最低賃金の引き上げ対策にはならないため、手当の設計時には注意が必要です。
- 新たな手当を導入する際は、就業規則に明記することが必要となるため、社会保険労務士などの専門家に相談し、適切なルールを定めましょう。
最低賃金の改定に合わせ、賃金体系を適正に整備することで、スタッフのモチベーション向上とクリニックの安定経営を両立させることが可能です。
福利厚生の充実による満足度向上
賃金の引き上げが難しい場合でも、福利厚生を充実させることで、スタッフの満足度を高め、定着率の向上につなげることができます。
例えば、以下のような福利厚生の導入が有効です。
- 健康管理支援:健康診断の充実やインフルエンザ予防接種の補助
- 育児支援制度の充実:ベビーシッター費用補助や短時間勤務制度の導入
- キャリア支援:外部研修・資格取得支援制度を整備し、スタッフのスキルアップをサポート
2025年10月施行の育児・介護休業法の改正では、「3歳から小学校就学前の子を養育する労働者に対し、柔軟な働き方を実現するための措置を講じること」が事業主に義務付けられます。予めどのような対応をクリニックで実施できるか検討しておきましょう。育児・介護休業法改正の詳細については、厚生労働省HPからご確認ください。
福利厚生の充実は、給与面以外での働きやすさを向上させる効果があり、スタッフの定着率向上や採用時の競争力強化にもつながります。育児や介護との両立が可能な職場環境を整え、スタッフが長く安心して働けるクリニックを目指しましょう。
クリニックが活用できる助成金・補助金
最低賃金の引き上げに対応するためには、賃金の適正化と同時に、活用できる助成金や補助金を取り入れることが重要です。特に、医療機関でも申請可能な助成金として、2024年度では以下のようなものがあります。
業務改善助成金(賃金引き上げの支援)
業務改善助成金は、事業場内の最低賃金を一定額以上引き上げた場合に、そのために必要な設備投資費用を助成する制度です。
- 主な要件
- 事業場内の最低賃金を一定額以上引き上げること
- 生産性向上につながる設備投資を行うこと(電子カルテ導入、予約管理システム導入など)
- 中小企業・小規模事業者であること
- 支給額(例)
- 引き上げ幅に応じて30万円~600万円の助成
- 助成率は3/4(一定の条件を満たせば4/5)
賃金引き上げの負担を軽減しつつ、業務の効率化や生産性向上につなげることが可能です。
キャリアアップ助成金(非正規雇用者の正社員転換支援)
キャリアアップ助成金は、非正規雇用の労働者を正社員に転換した場合に支給される助成金です。クリニックにおいては、医療事務や受付スタッフ、看護助手などのパート・契約社員を正社員に登用する際に活用できます。
- 主な要件
- パートや契約社員を6か月以上雇用後、正社員へ転換すること
- 就業規則に「正社員登用制度」を明記していること
- 転換後、6か月以上の雇用継続、および賃金の3%以上増額すること
- 支給額(例)
- 有期 → 正社員転換:1人あたり80万円
この助成金を活用することで、人材の定着を促し、長期的な人材育成を図ることが可能です。
助成金や補助金に関しては、こちらにも記載していますので参考にしてください。
医療機関が注意すべきポイント
最低賃金の改定に伴い、クリニックの賃金設計や労務管理には、いくつかのリスクが伴います。適正な対応を行うために、以下の点に注意しましょう。
賃金調整のリスクと法的注意点
最低賃金法違反のリスク
最低賃金を下回る賃金設定をしてしまうと、最低賃金法違反となり、是正勧告を受けたり罰金を科される可能性があります。違反が発覚した場合、以下のようなリスクが生じます。
- 主なリスク
- 未払い賃金の支払い命令
- 労働基準監督署による調査や是正勧告
- 罰則(50万円以下の罰金)を科される可能性
- クリニック名が公表される可能性
最低賃金の引き上げ時には、スタッフ全員の時給換算額を確認し、最低賃金を下回らないように調整することが必須です。
月給制の場合は以下の計算式を用いて、時給換算額を確認しましょう。
- 月給÷1箇月平均所定労働時間≧最低賃金額(時間額)
その他、最低賃金額以上かを確認する方法は厚生労働省HPをご確認ください。
社会保険や労働条件の適正化
最低賃金の引き上げに伴い、クリニックの社会保険や労働条件の見直しも重要になります。
- 確認すべきポイント
- 社会保険加入の基準を満たしているか
- 法定労働時間(1日8時間・週40時間)を超えた場合の残業手当の適正支給
- 契約更新の際、賃金改定を反映できているか
短時間労働者への社会保険の適用拡大が段階的に進められており、今後さらに対象者が広がる見込みです。パート・アルバイトが多いクリニックでは、最低賃金の引き上げとあわせて、社会保険料負担の増加も考慮した賃金設計を行うことが重要です。
労働条件の適正化を怠ると、未払い賃金や社会保険未加入によるトラブルにつながる可能性があるため、早めの見直しを行い、適切な労務管理を徹底しましょう。
スタッフのモチベーション管理
最低賃金の引き上げにより、賃金体系の見直しを行う際には、スタッフのモチベーション維持も考慮する必要があります。
給与調整時の適切なコミュニケーション
賃金の改定は、スタッフの働き方や生活にも影響を与えるため、慎重に進める必要があります。
- 適切な対応策
- 賃金改定の目的や背景をしっかり説明する
- 個別面談を行い、スタッフの不安を解消する
- 今後のキャリアアップと賃金体系の関係を明確にする
透明性のある説明を行うことで、スタッフの納得感を高め、不満や誤解を防ぐことが可能です。
評価制度の透明性と納得感
賃金改定に伴い、スタッフが納得できる評価制度を構築することも重要です。評価制度が不透明だと、賃金改定の理由が理解されず、モチベーションの低下や離職につながるリスクがあります。
- 評価制度のポイント
- 業務成果や貢献度が適正に評価される仕組みを整える
- 昇給・昇格の基準を明確にする
- スタッフ自身がキャリアアップできるような指標を提示する
近年、当事務所にも評価制度構築の依頼が増えており、人数規模の少ないクリニックからも多く相談が寄せられています。 クリニックは大手病院と異なり、評価基準が曖昧になりやすいため、明確なルールを設けることが求められます。
また、評価制度と賃金は一体として考える必要があります。賃金体系の見直しを伴う場合、最低賃金法や労働基準法への適合も考慮しなければならないため、法令違反のリスクを回避するためにも、社労士事務所に依頼することをお勧めします。
適切な評価制度を導入することで、スタッフのモチベーション向上と定着率の向上を図り、クリニックの安定経営につなげましょう。
まとめ
最低賃金の引き上げは、クリニックの経営に直接影響を与える重要な要素です。適切な賃金対策を講じることで、人件費負担を適正に管理しながら、スタッフの満足度向上や定着率の向上を実現 できます。
クリニックの賃金対策の重要ポイント
最低賃金改定に適切に対応するための戦略
最低賃金の改定に対応するためには、基本給の見直しや、最低賃金に含まれる手当の適正な設計 が不可欠です。クリニック全体の賃金バランスを考慮しながら、早めに給与体系を見直し、スタッフの納得感を得られる評価制度を構築することが重要 です。
助成金の活用でコスト負担を軽減
最低賃金の引き上げに対応するために、「業務改善助成金」や「キャリアアップ助成金」などの制度を活用することで、賃金改善にかかるコストの一部を補助 することが可能です。各助成金の申請要件やスケジュールを確認し、計画的に活用することで、無理なく賃金改定を進められます。
経営の安定化と働きやすい職場づくりを両立する方法
賃金引き上げだけでなく、福利厚生の充実や職場環境の改善を図ることで、スタッフの満足度を高め、定着率を向上させることが可能 です。短時間勤務制度の導入や、研修支援、育児支援制度の拡充などを行うことで、スタッフが長く働ける環境を整え、結果としてクリニックの経営安定化にもつながります。
最低賃金改定への対応は、単なるコスト増ではなく、クリニックの魅力を高めるチャンスにもなり得ます。 適切な賃金対策を実施し、経営の安定化と働きやすい職場づくりを両立させていきましょう。
本コラムでは、クリニックにおける最低賃金改定への対応策について解説しました。最低賃金の引き上げは、クリニックの経営に影響を与える一方で、スタッフの満足度向上や職場環境の改善につなげるチャンスでもあります。
これらの知識を活用し、法令を遵守しながら、経営の安定化と働きやすい環境づくりを両立させることが重要です。本コラムが、スタッフが安心して働けるクリニック運営の一助となれば幸いです。ぜひ、今回ご紹介したポイントを参考に、自院の状況に合った賃金対策を進めてみてください。
特徴
対応業務
診療科目
この記事は、2025年2月時点の情報を元に作成しています。
執筆 社会保険労務士法人アミック人事サポート代表社員/社会保険労務士/医療労務コンサルタント | 高橋友恵
2004年アミック労務管理事務所を開設。2010年に株式会社日本医業総研にて人財コンサルティング部マネージャーとして人事コンサルティング・接遇講師・院内業務改善コンサルティング等を実施後、2016年に社会保険労務士法人アミック人事サポートを設立。医療機関特有の人事労務に精通し、これまで350件の関与実績がある。
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