「就業規則がないとクリニックは守れない!?」
「うちは知り合いのスタッフばかりだから大丈夫でしょう」
「無断欠勤が2週間続いているのにクビにできないって本当?」
就業規則は必要という認識はあるものの、必要なのはなぜか、また就業規則がない場合にどんなリスクがあるかを知らない院長もいるのではないでしょうか。
スタッフがごく少数のクリニックでは就業規則の届出は義務付けられていないため、なかには「人数が増えてから考えよう」という向きもあるかもしれません。
しかし専門家によれば近年「リスク」は増大しているとのこと。まだ準備していないクリニックはすぐに着手した方がよいでしょう。
開業を控えているクリニックではもちろんのこと、すでに就業規則を作ってある医院も今一度チェックするときの参考にしてください。
※本記事に記載の情報は取材を行った2022年7月7日現在です。
回答者:社会保険労務士法人 アミック人事サポート 代表社員/社会保険労務士 高橋 友恵氏
2004年アミック労務管理事務所を開設。2011年に株式会社日本医業総研にて人財コンサルティング部マネージャーとして人事コンサルティング・接遇講師・院内業務改善コンサルティング等を実施後、2016年に社会保険労務士法人アミック人事サポートを設立。予防提案型の労務管理支援を得意とし、開業から事業承継までこれまで300件以上の関与実績がある。医療系の雑誌での連載やセミナー講師歴も多数。「経営者と労働者が抱える人事労務の悩みをゼロに」をモットーにお客様に寄り添った人事労務サポートを行っている。
就業規則の基礎知識
就業規則は、賃金や勤務時間などの労働条件やクリニック内での禁止事項などを定めた、いわば職場のルールブックです。労使間のトラブルを防ぐためにも欠かせないもので、常時10人以上の正職員、パートタイマ―、アルバイトが就業している場合には、欠かさず労働基準監督署に届け出なくてはなりません。また、この際にスタッフの過半数から選ばれた代表者からの意見書を添付する必要があります。
法律通りなら「スタッフが10人未満以上なら就業規則を届け出なくてもよい」と解釈できます。しかし高橋氏は「ひとりでも雇用があるなら絶対に作った方がいい」と断言します。
--最初は従業員が10人に満たないクリニックも多いはず。後からでいいのでは?
高橋:前提として、労務のルールに詳しい労働者が増えています。従業員を罰しなければならない場面があったとき、「この規則に基づいて罰則を与えます」という根拠が必要ですよね。それが就業規則なのですから「なければ罰することもできない」と考えてください。働いている人数が少ないから、トラブルが起こらないわけではないので、就業規則がない状態で経営するのはとても危険です。
--クリニックはトラブルが起こりやすい職場とお考えですか?
高橋:経験上、一般企業の事務所などと比べて、労使間のトラブルは起こりやすいと思います。ひとつは院長が、診察室で患者さんと一緒にいる時間が長いのでスタッフの働いている様子を細かく観察できないためです。また、勤務医時代に外出したり、遅くまで病院で残業したりなど自己裁量に任されていた院長は、ついスタッフに対しても優しく融通を利かせてしまいがち。その結果、不公平でゆるい組織になってしまうのです。
--「うちは気心の知れたスタッフだから大丈夫」「あまり規則を細かく決めるのも性に合わない」などという考えがつい頭によぎりそうです。
高橋:気持ちは分かるのですが、あくまでもリスクを回避するためのものと考えてください。また、作ったとしても「何もトラブルがなかった、よかったね」とならなくては意味がないのです。さらに、ルールを作ったからといって、院内の雰囲気が悪くなるわけではありません。
就業規則に必ず掲載しなければならない項目
就業規則に必ず掲載しなければならない絶対的必要記載事項は次の通りです。
勤務時間、休憩時間、休暇、休日
賃金の決定・計算・支払の方法、支払い時期
退職や解雇に関して(定年の年齢を含む)
クリニックが任意で規則に記載する項目
クリニックの裁量で記載する内容は次のような項目があります。たとえば退職金や賞与などは必ず定めなければならないルールではありません。
- 退職金
- 賞与・一時金
- 休業補償
- 日当などの各種手当
- 懲戒処分
- 福利厚生
就業規則はWeb上でも、さまざまなサンプルや実例が簡単に入手できます。また知り合いの院長にコピーをもらうことも可能ですが、高橋氏は独自の用意が重要だと指摘します。
--「就業規則サンプル」の活用は便利に思えますが、どのようなリスクがあるのでしょうか。
高橋:主に2点あります。1つめは、極端に従業員に有利な条件が記載されている場合があることです。たとえば忌引き休暇は、必ず取らせなければならないものではなく、休暇日数にもルールはありません。ただ「両親の死亡時は2週間」などとサンプルに書かれていたものをそのまま使っていれば、当然のことながら休暇を認める必要があります。
2つめは古い法律に沿ったままになっている場合。実際に、昔のマニュアルを引用したため余計な一文が残っていて「もらえたはずの雇用関係の助成金が申請できなかった」ということは実際に起こっています。サンプルがダメというよりも、きちんと中身を検証せずに用意するのがダメと考えてください。経営者が理解していない就業規則なら「ないほうがまだよい」という事態になりかねません。
就業規則を作る動機として「いい人を採用するためにも作っておいた方がいいです。組織としてしっかりしたクリニックだと思ってくれるためです」と高橋氏は、メリットについても強調していました。トラブルに対する備えだけでなく、人材採用の時点で有利になると聞けば、用意しておいたほうがいいと考える開業初期の院長もいるのではないでしょうか。
勤務時間が長い場合は変形労働時間制を活用する
労働基準法で決められた労働時間は1日8時間まで、1週間40時間までです。(10人未満のクリニックは特例措置対象事業場のため週44時間まで労働可能)これを超過すると違法になってしまいますが、診療科によっては8時間では勤務がおさまらないというケースもあるでしょう。
そこで適用されるのが1か月単位の変形労働時間制です。
--勤務時間が8時間を超えても違法にならないのですね。
高橋:特定の日に8時間、1週間に40時間を超えても、一定の限度で働いてもらえる制度です。就業規則や労使協定で、きちんと変形期間の起算日を決めたうえで、平均した週あたりの労働時間が40時間を超えないようにしなくてはなりません。また1か月のうちのシフトを定めて、毎日の労働時間を決めておく必要があります。透析クリニックや産婦人科、また週末も診療を行うクリニックでは適用しておいた方がよいでしょう。
よくある誤解として「変形労働時間制=残業代なし」と勘違いされている先生がいらっしゃいます。あくまでも最初にシフトを出す段階で、今日は10時間、明日は6時間、明後日は12時間などと決めて、それを超えたら残業代が発生します。その分を支払わないと「未払い残業」になってしまい、民法改正により3年(今後5年に延長される可能性あり)さかのぼって支払わなければなりません。
最近よくあるトラブルに関するQ&A
冒頭にもあったように、クリニックの労務にはトラブルが起こりやすいものです。最近のトラブルのトレンドを一問一答式で、高橋氏にお聞きしました。
Q. 無断欠勤は、どのくらい続けば雇用契約を解除できるでしょうか。1週間くらいですか?
高橋:2週間の追跡でも不十分という判例もあります。就業規則には30日と記載することをおすすめしています。途中で連絡がつかなかったとしても「嫌ならやめてください」などと決して言ってはいけません。「解雇なんですね!?」と、そのときばかり返事があるケースも知っています。要するにみなさん、解雇の方が「得」だと思っているんですね。
クリニックとしては努めて連絡をしたけれども、30日間連絡がなく無断欠勤が繰り返されたので、「就業規則に記載の通り自然退職として扱います」という流れが大切です。誰が見ても「それはしょうがないですよね」と言える水準まで、こちらは連絡をするしかないんです。途中で根負けしてはいけません。
Q. 副業を禁止するのはマズイ?よい落としどころはありますか?
高橋:「副業禁止と書いてはいけない」という決まりはないです。ただ、プライベートをどこまで制限できるのかという点を争うのもおすすめしません。したがって「副業をしたい場合はきちんと届け出て許可を取ってください」という規定を作っておくのがよいでしょう。
たとえば以下のように、明らかに自院での就業に支障が出そうな場合には許可しないという選択肢も取れます。
近所にある競合クリニックで兼業する
休日もなく長時間労働を前提とした副業プラン
「当院での勤務に影響が出ないと判断した場合に許可する」という書き方もひとつの手です。
Q. 常勤スタッフとパートタイマーの違い、注意すべき点は?
高橋:常勤スタッフ用とパートタイマー用で、冊子を分けて別の就業規則を作っておくのがトラブルの予防策として大切です。
たとえば週5常勤勤務と、週3回半日勤務のパートでは休暇日数が違うのは当然です。ただし就業規則が1種類しかなく、パートについての明記がなければ「私も同一賃金同一労働だから他の手当てももらう権利があります!」などと主張してくる人もいます。
また常勤スタッフ、パートタイマーいずれも試用期間を設けて、その間の有休の有無や給与の規定などを記載しておくとトラブル防止にも効果的ですね。
Q. 勤務時間なのか、そうでないのか解釈の差は埋められますか?
高橋:院長の考えや方針を就業規則にしっかり反映するべき内容ですね。たとえば朝礼は「出たい人だけでいい」「出ても評価には全く影響しない」など、はっきりさせておきましょう。昼休みの自由参加の勉強会なども同様です。クリニックが昼食を用意する場合でも、任意参加ならば勤務時間に含まなくても構いません。着替えの時間や昼休み中の電話を受けるかなども、院長が「どうしたいか」を明文化すればいいのです。
残業についての齟齬を防ぐには、「患者さんがすべて退出するまでに、受付に残るのは1人だけ」と書いてあれば、良かれと思って残ったスタッフがいても、残業とする必要はありません。あいまいな状態がもっとも危険ですね。
就業規則は社会保険労務士に相談を
労務のプロである社会保険労務士と契約して、適切な準備を行うのが良いでしょう。
パワハラ、セクハラや残業の解釈をめぐって、スタッフの親や配偶者がやってくる場合も増えていると高橋氏は言います。高橋氏が代表を務めるアミック人事サポートでは、新規開業時のコンサルティングサービスとして、従業員代表をスムーズに選出する方法や、勤務時間か否か残業代を支払うべき水準を定める方法などもアドバイスしてくれます。
取材先:社会保険労務士法人 アミック人事サポート 代表社員/社会保険労務士 高橋 友恵氏
特徴
対応業務
診療科目
この記事は、2022年9月時点の情報を元に作成しています。
執筆 執筆者 藤原友亮
医療ライター。病院長や医師のインタビュー記事を多く手がけるほか、クリニックのブログ執筆やSNS運用なども担当。また、法人営業経験が長く医療機器メーカーや電子カルテベンダーの他、医師会、病院団体などの取材にも精通している。
他の関連記事はこちら