「ヒヤリとしたことはあったが、レポートを書くほどではないと思った」
医療現場で最もよく聞かれる言葉です。しかしインシデントレポートは、事故が起きたことを責めるための書類ではありません。同じ状況が次に起きたとき、誰かが同じ判断をしないための記録です。
この記事では、クリニックの現場で実際に書けるインシデントレポートの書き方を、記入例とともに整理します。そのうえで、報告が集まらない原因と、集まる仕組みの作り方まで扱います。
なお、インシデントとアクシデントの区別や影響度レベルの分類については、インシデントとアクシデントの違いとは?影響度レベル分類と、クリニックで報告制度を機能させる方法 で詳しく解説しています。本記事は「実際にどう書くか」に絞ります。
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インシデントレポートに書く6つの項目
様式は施設によって異なりますが、押さえるべき情報は共通しています。
| 項目 | 書く内容 | 注意点 |
|---|---|---|
| 発生日時 | 年月日と時刻(できれば分単位) | 「午前中」ではなく「10:35頃」と書く |
| 発生場所 | 診察室、処置室、受付など具体的に | 「院内」では検証できない |
| 当事者・発見者 | 職種と経験年数 | 氏名の扱いは施設の方針に従う |
| 患者情報 | 年齢・性別・意識レベル・ADL | 個人が特定できる記載は避ける |
| 何が起きたか | 時系列で事実のみ | ここが最も重要(後述) |
| その後の対応と結果 | 誰に報告し、患者にどう影響したか | 「異常なし」で終わらせない |
「何が起きたか」の書き方——事実と解釈を分ける
インシデントレポートで最も差が出るのがこの欄です。書けていないレポートには共通した特徴があります。
よくない例
患者さんを取り違えそうになった。忙しくて確認が不十分だった。以後気をつけたい。
これでは何も分かりません。「忙しくて」は解釈、「気をつけたい」は決意であって、どちらも事実ではないからです。次に同じ場面に立った人が読んでも、何をすればよいか分かりません。
よい例
10:35、処置室で採血を実施。患者Aさん(70代女性)を呼び入れる際、待合で「Bさん」と姓のみで呼名した。同姓のBさん(80代女性)が返事をして入室。採血直前にリストバンドを確認し、別人であることに気づいた。採血は実施していない。
当該時間帯、受付から処置室への患者誘導が重なっており、担当看護師1名で対応していた。フルネームでの呼名と生年月日の照合を行っていなかった。
違いは3点です。
- 時刻・場所・登場人物が特定できる
- 「なぜそうなったか」が状況として書かれている(人の性格ではなく、体制の話として)
- どこで止まったかが明確(リストバンド確認で気づいた=そこが機能した防御壁)
3つ目は特に重要です。インシデントは「防げた仕組み」を見つける材料でもあります。
書くときの3つのルール
- 推測を書かない。「〜だと思われる」ではなく、見たこと・したことを書く
- 人ではなく状況を書く。「注意力が足りなかった」ではなく「担当1名で2つの業務が重なっていた」
- 時系列を守る。気づいた順ではなく、起きた順に並べる
クリニックでよくある場面別の記入例
与薬・処方に関するもの
14:20、内服薬の説明時、処方箋の記載と薬袋の内容が異なることに患者から指摘を受けた。確認したところ、前回処方分の薬袋を誤って渡していた。未開封のまま回収し、正しい薬袋を交付。患者への服用はなし。
前回来院分の薬袋が調剤棚に残っており、氏名の目視のみで取り出していた。
転倒・転落に関するもの
11:05、診察室から待合へ移動中、患者Cさん(80代男性、独歩)が入口段差でバランスを崩し、壁に手をついた。転倒には至らず、外傷なし。医師が確認し、経過観察の指示。
当該段差には注意表示があるが、床と同系色で視認性が低い状態だった。
検査・機器に関するもの
9:50、心電図検査中に電極の一部が外れていることに気づき、記録をやり直した。初回記録は破棄。患者への影響なし。
電極パッドの使用期限は有効だったが、粘着力が低下していた。開封から3週間経過していた。
情報・記録に関するもの
16:40、電子カルテへの入力時、前の患者の画面が開いたまま次の患者の所見を入力しかけた。保存前に気づき修正。誤記録なし。
診察の合間に問い合わせ対応が入り、カルテを閉じずに離席していた。
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報告が集まらない4つの原因
レポートの様式を整えても、提出されなければ意味がありません。集まらない原因は、書き手の意識ではなく仕組みの側にあります。
1. 書くのに時間がかかる
A4一枚を手書きで埋める形式では、繁忙時に書けません。チェック式を基本にして、記述は「何が起きたか」の欄だけにすると提出率が上がります。
2. 提出後に何が起きるか分からない
出したレポートがどう扱われたか本人に返ってこないと、「書いても意味がない」という認識が広がります。月1回でも「今月の報告からこう変えた」と共有することが最も効きます。
3. 責任追及の場に見えている
朝礼で名指しで振り返るような運用では、報告は止まります。目的は再発防止であり、人事評価と切り離すという宣言が要ります。
4. 「これは書くほどではない」の線引きが曖昧
判断を個人に委ねると、報告されないものが増えます。「患者に影響がなくても、ヒヤリとしたら書く」という単純な基準に統一するのが現実的です。
集めたレポートをどう使うか
書かせるだけで終わっているクリニックは少なくありません。使い方は3段階あります。
① 分類する
発生時間帯・場所・業務種別で分けます。件数の多い分類ではなく、繰り返し出てくる分類を見ます。同じ場面が3回出たら、それは個人の問題ではありません。
② 一つだけ変える
複数の対策を同時に入れると、何が効いたか分からなくなります。呼名をフルネームに統一する、段差にテープを貼る、といった単位で一つずつ変えます。
③ 効果を見る
変えた後、同じ分類のレポートが減ったかを見ます。減らなければ対策が的外れだったということで、それも情報です。
よくある質問
Q. 患者に影響がなかった場合も書くべきですか。
書きます。むしろ影響が出なかったものこそ、防御壁が機能した記録として価値があります。影響が出たものだけを集めると、何が事故を防いでいるのかが分からなくなります。
Q. 自分のミスを書くのは気が引けます。
インシデントレポートは始末書ではありません。人事評価と切り離すことを施設として明示しておく必要があります。それが明示されていない状態で報告を求めても、集まらないのが自然です。
Q. 保管期間はどれくらいですか。
法令上、インシデントレポートそのものの保存期間を定めた規定はありません。ただし分析と再発防止の観点から、最低3年、可能であれば5年を目安に保管する施設が多くなっています。診療録の保存期間(5年)に合わせておくと運用しやすくなります。
Q. 紙とシステム、どちらがよいですか。
提出率だけを見れば、入力にかかる時間が短いほうです。紙でも定型化されていれば機能します。ただし集計と分類を手作業でやると継続しにくいため、件数が月10件を超えるなら電子化を検討する段階です。
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まとめ
インシデントレポートは、書式を整えることより書ける状態と、書いた後に何かが変わる実感が揃って初めて機能します。
- 事実と解釈を分けて書く。「忙しかった」ではなく「担当1名で2業務が重なっていた」
- どこで止まったかを必ず書く。機能した防御壁が分かる
- 人ではなく状況を書く。再発防止は個人の注意力では実現しない
- 報告が集まらないのは仕組みの問題。書く時間・フィードバック・評価との分離・判断基準の4つを点検する
- 集めたら一つだけ変えて、効果を見る
最初から完璧な様式を作る必要はありません。「ヒヤリとしたら書く」という基準を共有し、出てきたものに反応することから始めるのが、結果的に近道になります。
参考
特徴
対象規模
オプション機能
提供形態
診療科目
この記事は、時点の情報を元に作成しています。
